今回連れていくギターのなかに18歳で逝ってしまった後輩のギターがあります。
フェンダージャパンのもので、今人気のEシリアルとかいうヤツです。
もし、彼が生きていたら、今年で33歳になっていた筈です。
私を「ちゃん」付けで呼んでも許していた唯一の後輩(他の連中が「ちゃん」付けで呼んだときには、生まれてきたことを後悔さていました)で、可愛いヤツでした。
棺桶の中で安らかな顔で眠っていながらも救急病院の先生たちが必死で蘇生しようとしたあとを見たり、同級生たちが号泣している姿を見て、彼の死は「生きること」の意味や「死ぬこと」のあっけなさを参列をした全てのひとに教えていたのかなって思いました。
今回の引っ越しの整理で、過去との対峙を迫られ続けています。
>お面夫婦
なんか台無しなコメントにあなたの性格がよく現れていてステキです(笑)
>きーぼっくさん
決して大切に扱ってきたギターではありませんが、必ずそばに置いているギターです。
私も何人も見送りましたので、終わる時のあっけなさを思い出しました。
形見。手放すことなど出来ない一本として、ずっと存在するのですね。
しみじみしているところ、水をさして申し訳ないんですが
そーいうことしてるから引越しの整理が終わらないんだよ。